古代ギリシャの天文学者ヒッパルコスは、プトレマイオスの「アルマゲスト」に登場するなど、天文学史において重要な人物として知られています。彼は独自の星表を作成したと言われていますが、完全な形で現存しているのはプトレマイオスの星表のみです。しかし近年、パピルスや中世の写本の断片から、ヒッパルコスの星表ではないかと考えられる記述が発見され、注目を集めています。
本稿では、現存するヒッパルコスの星表の断片を分析し、ヒッパルコスの天体観測における功績と、星表作成への取り組みについて考察していきます。
最も状態の良い断片は、5~6世紀の写本「Codex Climaci Rescriptus」(以下CCR)に含まれており、北の冠の星の座標などが記されています。
この断片は、北の冠の境界を東西、南北それぞれの星と座標で示しています。
境界を示す星は以下の通りです。
これらの座標は、紀元前129年の星の位置とほぼ一致しており、ヒッパルコスが観測した当時のものと考えられます。
また、CCR断片では、赤経を「黄道帯の星座の度数」で表している点が特徴的です。これは、ヒッパルコスがバビロニアの「黄道座標系」を天の赤道に適用し、「黄道(または黄道帯)の名称」を使用して天の赤道の区画を表現していたことを示唆しています。
アラトス・ラテン語版(AL)にも、ヒッパルコスの星表の断片が含まれており、大熊座に関する記述があります。しかし、ALの記述は非常に難解で、多くの箇所が破損または誤記されているため、解読は困難を極めます。
ALの記述から、大熊座の境界に関する以下のデータが読み取れます。
境界を示す星は以下の通りです。
これらの記述をヒッパルコスの「解説」と照らし合わせると、境界を示す星は、西がο UMa、東がη UMa、北がα UMa、南がµ UMaである可能性が高いことがわかります。
上記のように、CCR断片やALの記述は断片的で、一部解読が困難な箇所もありますが、ヒッパルコスの星表に関する貴重な情報を提供しています。これらの断片は、ヒッパルコスが独自の星表を作成していたこと、そしてその星表が当時の高度な天体観測技術に基づいていたことを示す重要な証拠と言えるでしょう。
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