核心概念
19世紀から20世紀にかけて、ポルトガルにおける統計学の発展は、「エストランジェイラード」(外国で高等教育を受けたポルトガル人)や外国人の影響を大きく受けた。
要約
本稿は、19世紀から20世紀にかけてのポルトガルにおける統計学の歴史を、書籍を通して分析したものである。
19世紀:記述統計学の時代
- 当時のポルトガルでは、統計学は政治経済学の一分野として位置づけられており、国家運営に必要な公式統計を扱うための「記述統計学」が主流であった。
- アドリアーノ・バルビやソラーノ・コンスタンシオといった外国人や「エストランジェイラード」たちが、統計学に関する著作を発表し、ポルトガルにおける統計学の認知度向上に貢献した。
- 1836年のパソス・マヌエルによる大学改革により、コインブラ大学法学部に政治経済学の講座が設立され、アドリアーノ・フォルハス・デ・サンパイオが統計学の講義を担当した。
- 1865年には、リスボン工科大学(後のリスボン大学理学部)で確率論の基礎的な講義が始まり、統計学が数学の一分野としての地位を確立していく基盤となった。
- 19世紀後半には、ダニエル・アウグスト・ダ・シルバによる保険数理に関する研究や、シドニオ・パエスによるポルトガル初の数理統計学に関する博士論文など、数学と関連付けられた統計学の研究が現れ始めた。
20世紀:推測統計学の時代
- 20世紀に入ると、カール・ピアソン、ウィリアム・シーリー・ゴセット(スチューデント)、ロナルド・フィッシャー、イェジ・ネイマン、エゴン・ピアソンといった統計学者たちの影響を受け、ポルトガルでも推測統計学が導入されていった。
- ISA(高等農学研究所)のヴァレンヌス・エ・メンドンサ、ISCEF(経済財政高等研究所)のレイテ・ピントやベント・ムルテイラといった教授陣が、新しい統計学の概念を積極的に導入した。
- コインブラ大学人類学研究所では、ユージェニオ・タマニーニが生物統計学における統計学の貢献に新たな視点を持ち込み、ロナルド・フィッシャーの弟子であるW. L. スティーブンスを招聘した。スティーブンスは、ポルトガル人研究者にフィッシャー学派の統計的手法を指導した。
- 確率論の研究と教育も進展し、リスボン大学理学部では、ヴィクトル・ウーゴ・デ・レモスやペドロ・ブラウンマンが確率論の講義を担当した。ペドロ・ブラウンマンは、測度論に基づいた確率論の研究や、古典的な確率論の中心テーマである確率法則の算術に関する優れた解説書を執筆した。
結論
- ポルトガルにおける統計学の発展は、「エストランジェイラード」や外国人の影響を大きく受けた。
- 19世紀は記述統計学が中心だったが、20世紀に入ると推測統計学が導入され、現代統計学の基礎が築かれた。
引用
“Statistics is the grammar of science.” - Karl Pearson
“Personally, I like two types of men — domestic and foreign” - Mae West