核心概念
炭素取引は、温室効果ガスの複雑な性質を無視した過剰な単純化に基づいており、効果的な気候変動対策には、温室効果ガス排出量取引に依存しない、より洗練されたネットゼロ政策が必要である。
本稿は、気候変動緩和のための主要な戦略として広く採用されている炭素取引における、根本的な問題点と限界を指摘する論文である。著者は、炭素取引の基盤となる3つの重要な前提条件を批判的に分析し、その欠陥を明らかにしている。
前提条件1:地球温暖化係数による温室効果ガスの代替可能性
京都議定書以降、気候政策の中心となっているのは、異なる温室効果ガスをCO2換算質量単位(CO2eq)で代替可能とする考え方である。これは、地球温暖化係数(GWP)を用いて、様々な温室効果ガスの気候変動への影響を単一の指標で比較することを可能にする。しかし、GWPは、大気中の組成やガスの寿命、CO2の効果の不確実性など、多くの要素に影響を受ける動的な値である。
GWPを用いた単純化は、短寿命気候強制因子(SLCF)と長寿命で均一に混合される温室効果ガスの影響の違いを曖昧にする。例えば、メタンのようなSLCFは、CO2とは異なり、排出量をゼロにしなくても気温安定化が可能である。GWPに基づいてSLCFとCO2をCO2eqとして集約すると、ピーク温暖化目標の超過につながる可能性がある。
前提条件2:発生源と吸収源における炭素の方向性と時間的代替可能性
炭素オフセットの根底にあるのは、1単位のCO2が地球上のどこで排出されても同じ気候への影響を与えるという考え方である。しかし、これは、異なる生態系タイプや形態によって吸収されるCO2には当てはまらない。森林などの自然の炭素吸収源における炭素の平均貯留時間は、場所、吸収源の種類、管理方法によって異なり、数日から数十年、あるいは数千年にも及ぶ。
森林における炭素貯留は、化学的、物理的、生物学的要因によって複雑に変化するため、炭素クレジットの貯留期間を確実に予測することは困難である。さらに、大気中のCO2濃度の上昇や地球温暖化が森林の炭素貯留時間に与える影響は、依然として研究途上である。
前提条件3:温室効果ガス排出量の削減は、隔離された温室効果ガスと代替可能である
炭素取引では、排出量の削減と隔離の両方が行われるが、これらは気候変動緩和に対して異なる効果をもたらす。排出量の削減は、大気中の温室効果ガス濃度を減らすのではなく、増加を遅らせるだけである。一方、隔離は、大気中に放出される温室効果ガスの量を実際に削減する。
炭素オフセットの質は、「永続性」と「追加性」を示す長い炭素貯留時間に依存する。しかし、実際には、正確なベースラインの設定や追加性の検証が困難なため、多くのプロジェクトが追加的であると認められていない。
著者は、気候変動の緩和には、炭素クレジットに依存しない、より洗練されたネットゼロ政策が必要であると主張する。具体的には、異なる温室効果ガスが気候変動に与える影響をより適切に反映するために、温室効果ガス種別ごとに排出削減目標を設定する「マルチバスケット」アプローチを推奨している。
また、排出量をオフセットすることを含むネットゼロの脱炭素化目標は、一時的に隔離された炭素と永続的に隔離された炭素を明確に区別する必要があると指摘している。